テレビを見ても、ネットを見ても、#美容外科クリニックチェーンと思われる宣伝ばかりです。
なぜ、こんなことになってしまったのか、私なりに分析してみます。
1. 美容医療に対する罪悪感が軽減した。
2. 面接対策からアンチエージングまで。
3. レーザーなどの、多くの美容機器が開発された。
4. 直美医師の増加―最近の若手医師は、修行よりも早く金になる方向に向かう。
5. 適性の優れた女性医師の急増。
6. 医師でない業者が参入可能になった。
7. 広告代理店、弁護士への依存度が上昇した。
8. 美容外科医のタレント化
9. 映像文化の蔓延
10.ITによるシミュレーションの登場
11.現代美容医療の、コンビニ・回転ずし化の利点と問題点。
これからの記述では、1.から11.までについての説明を毎週に分けて行います。
今週は、1.美容医療に対する罪悪感が軽減した。です。
1. 美容医療に対する罪悪感が軽減した。
我が国の美容外科の歴史を繙くと、終戦後の「闇の医療」としての、いわゆる「#美容整形」から始まります。わかっているのは、接客商売の女性が、二重手術、隆鼻術や豊胸術を受けていたようです。東京では、新橋の十仁病院や先駆者の美容整形医がそういう患者さんの受け皿だったようです。当初の二重手術は、切開法で、眼窩脂肪の除去を頻繁に行ったようです。隆鼻術は、象牙やシリコンで手作りしたプロテーゼを鼻背に入れたようです。また、豊胸術は、ワセリンやパラフィン、それらの混合物を、太い注射針で注入したようです。しかし、この頃の美容整形手術は、必ずしも良い結果ばかりとは言えず、特に注入による豊胸術ではとんでもない固いシコリを遺したり、ヒト・アジュバント病という自己免疫疾患に罹患したりして、多くの不幸な患者を遺しました。そう言う状況であり、美容整形を受ける事は隠蔽され、体にメスを入れるのは罪悪であると言うような風潮がありました。
その後、1980年代の前に「美容整形」は日本整形外科学会からのクレームもあり、「美容外科」に名称変更されましたが、依然として、社会の認識は変わりませんでした。しかし、1960年代の後半から、学問としての地位が確立した形成外科が美容外科を一分野と語るようになり、さらにレーザーなどの機器の開発が進展してから、徐々に美容外科学という医学の一部であるようになって社会的風潮が変化しつつあり、徐々にではありますが、美容医療の印象が好転していきました。
さらに、2000年代以降は、アンチエージング目的の美容外科や美容皮膚科と言った、#美容医療の普及があってハードルはますます低くなっていきました。
相談は:水道橋駅前・スクエアクリニック・デンタル医科部門
までお願いします。
Ph:03-6272-8787 E-mail:info@hiko-sq.com
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