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  • 執筆者の写真HIKO HYAKUSOKU

詩人「北岡冬木(私の筆名)」の詩論と代表詩

ちょっと休憩しましょう。

詩人「北岡冬木(私の筆名)」の詩論と代表詩



現代詩私論(北岡冬木)

昔の詩はわかり易いが、現代史は分かり難い。と言う認識は誰にもある。それはそうだと思う。

何故かと言えば簡単である。例えば昔の印象派の絵画はわかり易いが、20世紀以降のピカソやミロに代表される抽象絵画が理解為難い人が多いのと同じである。

要するに、詩とは言葉による絵画である。言葉が脳で色になったり、形になったりして、恰も絵画のように脳の中で展開されるのである。

 

抽象詩の1例。

血だらけの花園 北岡冬木

すべての花は凶器を自らに突きつけている

季節は七月屋上遊園の回転木馬から

痺れやかな音楽が流れてくる日

マネキン人形は悉く自爆して     

ぬめぬめした内臓を露出して羅列する

花畑は血にまみれた謝肉祭

のたうつ心臓総ゆる街辻に配置され

回収し難い真昼の見物渋滞

片づけ忘れた未消化の性欲が

再びこの躯に真紅の花粉を噴霧するか

その限り凶器はすべての花弁に突き刺さっている

やがて花園は血に喘ぎ呻吟するだろう

またしても終了しない祭儀が始まったのだから


この詩は、音楽で言えば、パンク・ロック である。

 

では、この詩はどうであろうか。

 

難破船の還る日 北岡冬木

 

いつ喪くしたのかも忘れてしまった追憶公園の

プラタナスが噪ぐ究極の秋空の碧い眼底から

もうすっかり忘却していた難破船が

じつは予定通りに還ってくる日が遂に

やってくるのだもうじき

あの遊び疲れた公園の友達と

夕食を告げにくる妹たちの

家で待つ祖母や父母

みんなが連れて行かれたあの日

一人佇んで呆然といつまでも待ち続けた長い夜

あれから太陽はどれくらい廻ったのだろうか

すべては夢だった途方もなく長い旅をした

ブランコは囁く

漕いでも漕いでも届かない夢を

滑り台は呟く

降りても降りてもまた昇れと

砂場は嘯(うそぶ)く

掘っても掘っても未来は見えないよと

それでも友達より多く遊ばなくては大人になれない

どうしてそんなに大人にならなくてはいけないのだ

子供のまんまで逝った「新聞少年」は

回旋塔にぶら下がったまんま寂しく問いかけ消えた

そうすべては難破船の還る日のために

誰もがこうやって辛い旅をしなくてはならないのだ

積み忘れたおまえを屹度迎えにくるから

あの胎内で耳にした麻断の音階とともに

ああ陶酔の馥郁たる腐臭を漂わせ

ほら乳色の蜃気楼の彼方から

もうじき難破船が還るよ

 

私の分類は、叙情詩であり、具象画のようであると思っている。異論もあろうが。


#現代詩



(アマゾン)より

北岡冬木全詩集


















 

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